昨年11月21日から23日まで第12回日本補完代替医療学会学術集会が高野山大学で行われました。
高野山には初めて訪れました。大阪難波から南海高野線の特急で1時間20分、ケーブルに乗り換えて5分、そこからはタクシーで会場まで10分程で着きました。
特急も市内から杉並木の山間部に入るとかなり急な坂を上って行きます。標高900m、高野山という山はなく、真言宗総本山金剛峯寺をはじめ117のお寺がある大きな寺町です。
お寺の半分が宿坊を兼ね、遍照光院という空海が座禅を組んでいたお寺に泊まりました。遍照(へんしょう)とは座禅をしている時に光が満ち溢れてきたという意味だそうです。急に光が差して世の中が変わって見え、それから奇跡的に体が回復したとか、考え方が変わったという意味でしょう。私が携わったガンの患者さんで回復していった多くの人がターニングポイント(折り返しのある一点)でエネルギーが急に湧いてきた時に光を感じたと言っています。同じことを指しているのでしょう。
夜は精進料理、味といい、食べきれないボリュームといい全く申し分の無い料理でした。朝は6時30分にお勤めがあり、本堂いっぱいの人が参加して、お坊さんのお経とともにお焼香をあげてきました。本堂には快慶作の阿弥陀像をはじめ国宝の襖、屏風があり、拝覧に来る方が多いようです。今年も日本美術の人気はすごいもので、作者不詳にもかかわらず、奈良興福寺の仏像を紹介する“国宝 阿修羅展”は東京で95万人、九州で71万人を集めました。

高野山は弘法大師空海が1200年前に修行の場としてひらかれたところです。
空海は私どもと交流がある中国福建省福州市のお寺に碑、立像があります。遣唐使の最初の船に乗った空海は、途中暴風雨に会い漂流し、大きく航路がそれ、福州に入りました。空海が最初に訪れたお寺は市内にある開元寺、大きな空海の立像と“空海入唐の地”と書いた碑があります。また、市内から8キロ郊外にある1000メートルの鼓山の涌泉寺にも同じ大きな碑があります。空海はここに50日滞在し、それから長安に向って行きます。
ちなみに350年程前、隠元禅師が奈良宇治市に黄檗宗(おおばくしゅう)萬福寺を開山しました。この黄檗宗萬福寺も福建省福州に本山があります。普茶料理(精進料理)、隠元豆、スイカ、イチョウなどを持ち込んだことで有名です。数年前の春、桜が咲く頃に萬福寺で私のセミナーが開かれ、セミナーのあとは普茶料理を4人1組でいただきました。

今回の学会は第6回21世紀高野山医療ファーラムも同時に開かれました。
たまたま学会の会場を抜け出して、医療フォーラムの会場に入ってみると、ちょうどこの会の理事長柳田邦男さんが講演されていました。
“モノがあふれ、おカネもほどほどに得られるようになるにつれ、子どもの人格形成や家や社会にゆがみが目立つようになってきた。いのちの精神的・霊的な面を大事にしないで、ほとんど忘れたに等しい状況が続いたのがその原因である。”
そしてその心の貧しさがもたらしたゆがみの窮極のものは “死の貧しさ” であるという。
“いのちの精神的・霊的な面が全面的に問われるのは、人が死に直面した時だ。日本人の心の再生をはかるためにも、今こそ死との向き合い方を根源から考え直すべき時期に来ている”
多くの人の、死を前にした生き方をリポートしている彼は、どんなに小さくても死を前に生きがいを見つけるべきで、生きがいを求めていく死に方は豊かであると言っています。

町田 久